アーニーパイル記念碑
アメリカが生んだ従軍記者アーニー・パイルは、インディアナ州の小作農家に生まれた。
大学卒業直前に退学し、新聞記者となります。
第2次世界大戦勃発後、各地を転戦し戦場から無名兵士たちの模様を報道して全米を感動させた。
昭和20年4月16日、伊江島に上陸した米第305連隊と行動を共にして取材中、日本軍の機関銃に撃たれ4月18日に戦死しました。
遺体はヘルメットをかぶせたまま、粗末な気の十字架の下に埋められ、のちに沖縄本島の陸軍基地、そしてハワイ(ホノルル)のパンチホール国立墓地に移された。米軍の手によって戦死の地に記念碑が建てられた。毎年4月18日前後の日曜日には、在沖米人らが参列して慰霊祭が行われている。
(伊江村教育委員会資料より)
古くなって、ボロボロになってきていますが、こちらの説明板には、アーニーパイルの生涯が、以下のように綴られています。
アーニー・パイル(本名 アーネスト・テイラー・パイル)の生涯
生 年 月 日 1900年8月3日
故 郷 アメリカ合衆国インディアナ州ダナ
経 歴 彼はインディアナ大学に進み ラポーテ・ヘラルドにおいて
見習いレポーターとしてキャリアを積む。
1935年 彼は机に向かう仕事に飽き、特ダネを探しはじめる。
1940年 ロンドンでラフトワッフ爆発の記事を鮮明に書く。
1942年 彼はアメリカ軍に通信員として入隊し北アフリカやイタリア
ノルマンディ・ドイツに同行し、戦場の男たちの様子を記事にした。
1944年 彼はジャーナリストとして最高の名誉であるピューリッツアー賞を
授けられた。
一時アメリカ合衆国に戻ったが、すぐに第77歩兵隊に入隊する。
1945年 彼はアメリカ軍の沖縄上陸に同行し、4月16日伊江島に上陸した。
4月18日取材中に日本軍の弾にあたり、この地に生涯を閉じた。
第33代アメリカ合衆国トルーマン大統領もパイルの死を悼んで
特別の声明を発表した。
※彼は兵士の視点から戦争を情緒的に書いて第二次世界大戦で有名に
なったジャーナリストである。彼にとって戦争の道具はノート、ペ
ンそしてタイプライターであった。彼の功績を讃えるために在沖在
郷軍人会が碑を建立し、毎年4月18日に近い日曜日に慰霊祭が行わ
れている。
私達村民は誓う
二度とあの忌わしい戦争を繰り返さない、平和な世界を築くことを。
2007年7月22日 伊江村
沖縄サミット並びにアーニー・パイル誕生100年記念